でもそういうアンタも
でも、それなら、批判しているけど『カラーズ』を書いてる時点で動画はバンなんじゃないのか?ちょっと不道徳過ぎないか?
と思うかもしれないが、私は何かしらの動画でもその話はしないだろうし、これは『猥褻サイト群』を参考にした上での告発的な問題提起的な要素もあるし、確かに不道徳である事に疑念の余地は無い。しかし、実際に自身が児童買春を経験していないので想像で書く他ないが、絶対に彼ら(日本)は黒なので、私は名誉毀損にならない自信が99.99%ある。通常もうヤクザ警察側に殺されて死ぬレベルだろうね。
ならばでは、何故、あのような児童の嵐を長年放置する?そこに出てくる中高年と児童は一体何だ?…IT会社だけでなく、基本的に日本国の責任だ。女性達はほぼ知らなかった。未成年達も知らなかった。私は信じてもらえれば知らなかった、若いし。(と言っても、もうその時に児童買春してるんじゃない?と疑われたら、何が何でもビデオでも昔の児童買春のテープ拾って下さい、と懇願する他ないだろうね)それをだ。”IT会社に教えてもらった”のだ。これはここ、20年くらいでの出来事だ。
変態は変態プレイのやり過ぎで、この成人男性の私にすら攻撃してきたのだ。そういう結論だ。あの男は間違いなく児童淫行の常習犯に違いあるまい。
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私は創作で、まあ、明日死んでしまうかもしれないので、まあ、取材旅行は終えたんですけども、この作品では不道徳的な意味合いも含めて徹底的に思想的にやり尽くしている。鍵となる点は、主人公のユキは、ところでこれは以前の周庭氏の時の作品にもちょっと見られるが、「天使」という点が鍵になっている。
述べてしまうと、ユキは年齢的に逃走を決行したのは中学2年生あたりの年齢だが、小学4年生ぐらいで、すごい仲良くしていた馴染みの客達が離れ始めたんだ。それは「天使」が鍵となっていて、それが不道徳な点を本創作でやり尽くしているという意味だ。児童、未成年達も深く考えるな。天使というのは、ここでは、想像で言わせてもらうと「ロリータエンジェル」という意味であって、何も分からないので、客に対して純粋な笑顔を向ける。児童猥褻主義者は元々子供好きな集まりなので、警察庁は(フィクションです)その純粋さの中に「純愛」を見出したのだ。物心がつけば「こいつはそういう客」という自我が芽生える。最中「嫌だ」「慣れた」という意識、雰囲気が生ずる。その時が”天使が天使でなくなる時”だ。これが本作でのVIPクラスの最ディープ児童買春クラスでの「卒業」をも意味する。”海に突っ込んだ手を引き抜く時だ(ポスター)”。言ってる論理構成は極めて単純明白であろう?
「悪魔に魂を売った」「天使が天使でなくなる時」
↑そういう天使と悪魔の対のデザインとかもカッコよくするので、それが本作が「不道徳」という意味だ。警察庁の親父もださい親父キャラであるとも言っていない。映画だったら、私が警察庁役かもしれかもしれない(自画自賛ですけど)。それが不道徳という意味。海に突っ込んでいた手を胸元に当てながら(手の指は一杯に広げて)、斜め下から斜め視線で見つめているポスター等。まあ私というのはそれは冗談ですけどね。
という話だ。ゆえに、彼女は「天使」という言葉に、嫌なイメージを徹底的に強烈に持っている。その言葉はユキが即具合が悪くなる言葉だ。
しかし、ユキは海を見ながらの、その車の旅行の中で…、表情に乏しかった彼女が向けた笑顔は。
私が死んでしまったら、これが『カラーズ』だ。それで鍵ポイントで作れるはず。