インドの宗教とカースト制度について
ところで、あなた(私)はインドの宗教について語っているけど、私はインド人だが、社会的な圧力ではっきり言えないが、カースト身分みたいなのが嫌いであんまり宗教を信じれないというか、欧米の文化の新しい風が好きなんだよね。せっかく今、欧米の文化の風が来て、インドも若い世代から変わろうとしてるのに、気色悪い国からやってきてインドの宗教がどうこう宗教がどうこうと言われても、インドの宗教はインドの「古い時代」、これからば「新しい時代」欧米の文化と共に「金持ちのインド」が正しい考え方なのだ。
という風に、インドの宗教を語っている私に対して、げんなりしているインドの方もおられるかもしれない。有名なカースト制度について言及しておくと、確かに、カルマの思想に依拠すると前世よりの業の結果として、今世の生が決定されるので、各々の現状へと繋がっている、という考え方が「カルマの思想」です。しかし、私の思想では、そのカルマの思想は横に置いておいて、「生前と死後の事に関して政治が干渉するのは極端過ぎる」というもので、これは「政教分離」よりこのように主張しますが、政教分離というのは欧州でも主張されますが、私はそれも参考し、主として「出世間の理」より導いたものです。インドでいうと「出家」の文化です。なので、「カースト制度」というものがインドの宗教と結びついているのならば、それを持ち込んだ定着させた人間というのは、論理的に考えると”出家した後(インドの文化です)”の高僧、聖人が語ったのだろう、という話になりますが(神や宗教の制度なので、そのようにインドで信じられているはず)、このカースト制度は強烈に世間に干渉するものなので、社会制度にです(今は法律で禁止されているという事ですが)、「出世間の理」と自己矛盾を起こしています。一言で言えば「出家していないのでは?」という結論になります。
カルマの思想が正しい間違っているという話ではなく、「極端過ぎる」という話です。それならば、宗教の事が分からない政治の人間が、そのカルマ制度を誤認して、マハトマガンディーを、これは言うのも痛々しい話ですが例としてご容赦下さい、「ガンディーは偉大だが、暗殺されたので、前世の業でそのような結果が生じたのだ」とカルマ思想に依拠してガンディーを評価し「暗殺されたと言うことは、前世が悪いので、ガンディーの家族は低いカーストが相応しい」と結論したとしよう。それをインドの皆さんが「マハトマに何て言うことを言うのだ。ガンディーの前世が悪いわけねーだろ?」「そうだそうだ」「そんな事を言ったやつを逮捕しろ」と、世論が激怒したとしよう。ですが、それは全て「感情論」です。カルマを語っていますが、感情で言ってるだけで、このようなものを世間の社会制度に持ち込んではいけません。結局聖者に聞こうと言う結論になるのか、それは私は知りませんが、私も日本で悲惨な目に遭わされたので、前世が悪いと言うことで、インドに「助けてくれ」とやってきたら、「よし、前世が悪いからローカーストだ」と言われたら不愉快です。
くどいですが、カルマ思想が正しい間違っている、と言う話ではありません。欧州で言うならば、「王権神授説」をたとえば、インド人に話を聞いて、よし、「私は前世がいいので神に王権を授かったのだ」「王権を授かるものは、私の子供、子孫として神によって前世を認められ輪廻してくる」と言って、その場合権威としているのが欧州の場合だったらキリスト教等であって、インドの場合はヒンドゥー教です。この欧州の例の場合でも、何らかの原因により、王族のような支配層、金持ちに生まれた、欧州の国の底辺層、超貧困層に生まれなかったと考えるのがカルマ思想です。