インドの思想について

2025年10月24日

「どうしてそんなにインドの思想がいいのかな?」と、私の意図が伝わっていないかもしれないので、くどいですが説明しますと、4次元円錐を思い出してもらって、これは物理なんですけど、この理屈を踏襲して「精神のエネルギー」のような感じで「霊」とか「精神」「中有」etc…など、そういう類のエネルギーとして「業のエネルギー」というものをここで設定します。物理円錐の重力に該当します。あとは「大きい世界」を宗教的解釈としては「消失等している階層的な天界」という風に解釈し、一番大きい天界は一番カルマエネルギーが無くなりかかっている、非常に清らかで大きく、静かな(物理円錐で大きい世界というのは遅い。ゆえに静寂としている)、不動に近しい時空間領域が大きい天界という理屈になり、業を滅却してエネルギーを拡張し上界に(より大きい天界に)瞑想で昇れるのならば、最高天界は時空間質量の理屈より、それをそのまま精神の円錐に移したので、カルマエネルギーが未だ存在している、つまり最高天界においても切り離せないので時空間が存在します。これを「未だ輪廻の内」としているのです。

 「ニルバーナ、涅槃、不動の境地」の解釈は、業を減らすというか消して上界に瞑想で行けるんだから、最終的には「無くすことも出来る」と解しているのです。要するに、最高天界の次の段階です。理屈としては、物理でいうと重力、エネルギーというものが無くなるという話なので、時空間が消失というか、時空間で捉えられない場所です。時空間質量なので、質量エネルギー相当(カルマE、宗教解釈)が修行完成によって完全に滅却した状態だと、ゆえに宇宙時空間から外れます(物質は有る無い等複雑。無色だと)。これが「解脱」の解釈です。

 それでは、「天と比して穢らわしく(”ゆえに”上天に存在し得ない、下界)、小さいエネルギーの我々が、どうやって天方向に瞑想で赴くのか?」という話が、それが修行指針というか一解釈で、ご自分で頑張ってください。

 我々が、現世の行為で汚れると、カルマエネルギーが蓄積され、固まる、小さい方向に凝縮しますから、例えば、悪の帝王のような感じで悪行の限りを尽くすとカルマに影響するので、カルマエネルギーが今の人間の状態より非常に小さく固まっている、汚れている状態になり潜在しますよね?、物理の円錐に移せば重力が強く、一点に引きつけられる状態です。ゆえに、私の各界の解釈は「この世界というか宇宙の内」と解しているんですけど、大きい超広大な宇宙領域を想像してもらって、それを宗教解釈すればそれが天です。その広大な領域のエネルギーが一点に集中すると莫大な重力が一点に発生しますが、そういう事ではなく、もっと小さいエネルギーが一点方向に固まる感じです。微小昆虫類のエネルギーは我々の保有する物理エネルギーより小さいですよね?、物理のエネルギーのロジックを使っているので混乱しますが(要するに下界方向へはエネルギーが落ちるはず(カルマEは蓄積され増えます)。これを上界天神の”威力”と解します)、業によって汚れてそして小さくなるのです。と私は解釈しています。そして、物理の3世は「幅」で捉えましたよね?、つまり、現世、今の行為は幅で未来、つまり来世に影のように影響している。先の悪人は小さい所に持っていかれるんです。これが悪業輪廻転生です。

 「どうして、風水論や比較宗教では、インドの輪廻等の思想を受け入れるのか?」と疑問を持っておられるかもしれないが、↑ような評価や、受け入れるというより、生前、死後、我々はどこから来てどこへ赴くのか?、前世、来世…のような宗教的な話だと、結局は四界に収まります。通常人が見た感じ、人間より上の存在は確認出来ませんよね?故に、見えない上は「天界」として、下は「地獄」や、畜生等の「下界」です。私の理屈としては地獄界は下の世界なので非消失、つまり見えるはずなんですけど、宇宙も広いし、私は理論をこねているだけなのでこれ以上地獄に深入りしません。


 私は次の国に移動しようとしていますが、インドの諸君は「宗教は貧乏くさいので嫌だ」「欧米の金持ちの新しい風がいい」と言わずに、ならば”伝統文化を連れて”富裕を目指してほしい。今は多忙ビジネス時代なので、在俗の道場の設立が極めて重要で、これは私の目的でもあるのですが、被害に遭ってなかなか進展せずに、言ってしまえば能力不足なんですけど困っています。ネタを沢山かましていますが、第一義は「在俗者の修行道場の設立、普及」です。私的にこれが一番大事です。