前回の続き

2025年10月25日

 インドは修行ということで、またお会いする事があるかもしれません。

 以前から申していますが、私の思想は「道の半ば」という事で「無責任」です。責任を所有しておりません(私部、無所有)。皆様がご自身でご判断ください。ゆえに、どこの国でもそうだが、万が一、仮にも私を語って”福徳”の寄付金を集めるような行為は容認しない。「福徳」「布施」は他の宗教団体等が主張していたり、インドの伝統(托鉢)からなので、私の話を思い出してもらったら、「半ば」という事だから、明暗托鉢ではなく受与余物であったので、つまり「権利」(のサポート)です。私が皆さんに修行道場等で寄付を募る機会が仮にも今後あったとしたら、修行権(環境権であった)という権利名目の寄付金で賛同者を募ります。

 何もインドだけではない。例えばキリスト教だと、自団体の教会に寄付して天国に行ける等でしょうけど、くどいがそれは他の宗教団体の主張です。私はそんな事申していない。疑念を抱いている人達に「そこに行く保証を示してくれ」などと言われたり、そういう話になる。「ならば来なくていい」という話になるんでしょうけど、日本の例だと、宗教詐欺が多いというか、私はヤクザが絡んでいる場合も疑っている。彼らは、女とか娯楽とか、何かしらで金を集める、持って来させる手段の求道者だからね。団体に身ぐるみ剥がされたみたいな話、日本であるんですよ。ヤクザの関係団体だったら、あのポルノサイト群を思い出して、

「お願いします」「あなたは信じますか?」

とせっせと布施をするんだから、こんなに滑稽な話はないですよ。ヤクザには解散してどっかに行って欲しいよね。どうして日本に定着しちゃってるんだろうね。