悩んでいる
まあ、60歳過ぎに海外行くかな?程度かな。いや、中国さんに児童学習権の話がどうこうって言うのもあったし、…結論が出ないよ。基本的に、マンションとかで寝てたいんだよね。
でも、思い出したけど、中国も短期だったけど、昔上海とかに行ってるよね。仕事でも中国行ってるし、短期だったからと言わずに、そういう国は除外しようかな?ならばフランスも行ったからパスか?、しかし、←の内容を考えて学問と芸術の国なのに、私が評価されないはずはないし、彼らはせっせとイスラム系住民を受け入れて移民反対派が怒ってるけど、それで私は追っ払うのかい?ルソー的な雰囲気醸し出してるの気づいて欲しいよね。ルソーだからあれか。音楽か?私もDJのビショップさんのやつあるじゃない?インドでやろうと思っていたやつ。植樹計画というのが「人権の木」だけれども、音楽論自体はDJだろう?DJと言ってもそれを発展させたやつで「音楽道」だった。そういう若者は若い時分にDJ風楽曲を楽しむけれども、熱心にやったにせよ(プロDJとか)若い時に引退して、要するに人生の後半期につながらないのではないか?という話で、そこにその特性に合った者達の為に「音楽道」を作ったという話だった。音楽と言っても、音大のやつじゃないよ?「音楽道」だ。
六道輪廻のスリップマットやモニターに映し出したりと景観設計や、理論があったでしょう?レコードも集めるのがDJだけど、お経を集めて、とか。さらには、お経を流す際の作法等の策定、研究だ。理論の骨格はまだ言ってなかったかもしれないが、人剣と同じで「3密」だ。
あとで、←に音楽道を設けてまとめておくけど、この学問の骨格要素は↑の作法やレコードのようにお経を集めるのもそうだが、クラブ電子音楽というのは、分析すると基本に「ミニマルライク」な部分が構成要素として存在している。ダンスミュージックという事だからね。「ミニマル」というジャンルもあるけれども、それを発展したのが「音楽道」という理解で問題無いです。どういうことかというと、真言はミニマルなんですよ。
真言の句が合ったとして、それを唱えるのに10秒かかったとする。これは計測する。ならば、10秒の音楽ループを作成します。今はAI時代なのでAIでも作れるのではないかな。クラブ音場というのは、
1 VJモニター
2 電子音楽が流れている
3 DJがいる
4 お客さんがいる
と、このような感じだが、DJというのはこれは音楽道でもDJというか導士と言ったところか。要するに、この基本構成を3密と捉えて「浄」の域に導くのが導士ということで、VJモニターというのは「意」となる。電子音楽が「口」で、お客さんが「身」だ。ここで、実際に修行者が真言を唱える際と比したりして、あれこれ話がある訳だが、意だけ切り取っても、そこに例えば神像の類を映し出す訳なので、断片的な効果は期待できる。行者が唱える真言と違うと言っても、という話。電子音楽というのはだな、真言を写していく(写す、移す。変化させる)と捉えて、それを「流」としている。例えば、どのような真言を選定するのかという話はさておき、私はミニマルライクということで「虚空蔵求聞持法」に着目しているし、空海が唱えた真言といえばそれというぐらい有名。まあ、なんで空海なの?という話はさておき、真言を何か心の中で唱えてもらいまして、それのリズムを保持したまま(ここでは保持とする)、キック音か何かで置き換えてみてください。真言と音のリズムを外そうが10秒の長さは厳守しなければならない(作法)。無意味となる。どうしてかというと、10秒の真言を想像してもらって、リズム的な外しで短く5秒のキックに差し替えたやつを2回入れたとして、それはダンスミュージック的には高揚する感じで面白いのだろうが、それは作法から外れるし、やったにせよこの場で説明している理論外。10秒の真言が変化して他の音に移った訳だから、そのように解釈する(記号化)、リズムを変えようとも長さが変わるのは変だし、長さは変わったが、その真言の内に潜んでいる意味内容は半分の5秒にした場合でもそのまま移ったと言われても、ここではそのようには解釈しない。10秒の長さの真言(お経)を、10秒の別の音に写している訳です。リズムを変えても、それは真言を読むリズムが変わったとすれば良いし、言ってることわかるよね?
「流」というのは、瑜伽だから溶け合うという意味合いで、通常の三密を固定と捉えると、意が流れる(モニターが変化する)音が流れるミニマルループが他に変化する(口)、お客さんの印を変える(身)と、3回ずつループさせるうちに、一つだけ流して(変化させて)、残りの二つは固定するという「流」のかけて、聞き手が基本作法ということ。ややこしいけど、「意」や「身」を固定する際には、「口」をつまりミニマルループを変化させるという意味。流というのは瑜伽を促進させるというふうな意味合いで捉えている。瞑想楽と言ってもいいかな。
ゆえに、ミニマル音楽しかないです。10秒なら10秒のループを繰り返すだけ、10秒を保ちつつ、ループのそれを変化させるだけで、そこから外れた楽曲的な展開とかはこの場合無関係。
ということで、普通の楽曲にお経をどのようにMIXするのか?という話も最初に述べたが、それは別の作法の話であって、リズミカルな感じでDJミキサーで般若心経をミックスしていたりするのは、作法としてどうか?意味は何か?とか、そういう事。真言で、10秒の真言句なのに、途中でブレイク的に、冒頭部1.5秒ぐらい切って4回かけたりするのは作法から外れる。それはダンスミュージック的にリズムをとっているだけ。ダメ。
ダンスフロアだと踊っているのが(身形)、道だと(印)になっているということで、どのような真言を持ってくるのか?と、虚空というのは音場と捉えて、室戸の洞窟は密室と捉えるとか、そういう話もある。くどいが、移す元の真言(お経)の秒数を変えてはダメだ。例え、真言の切り抜きでも、抜いた部分の秒数と合わせる。それが変化する訳だから。音を記号化(真言化)と言っていい。真言にせよ、この音は真言であってこういう意味だ、とするから意味をとれるわけだ。剣道の型が「身」で印としたのと類似する。ループの秒数長さが大きな意味を持つ。
「音楽道」は「比較宗教学」「風水論」のカテゴリかな。
↑学問というのは、この場合だと、真言とはウンタラカンタラ、という事で、さらに音楽道の観点からウンタラカンタラ、と、ゆえに、歳だし(だからというわけでもないが)大してレコードも買っていないし、全然楽曲を繋げられないけど、私をDJと呼んでもらっても結構。それが「ビショップさん」だよ。ジャンルで言うとお経とか真言になるのかな。ビショップさんはパロディ寄りのキャラ名だけど、音楽道はジョークではない。作法が大事。無礼であってはならないし、無意味ではダメ。お経でも無意味は音のダンサブルな構成要素でしかないようなものは、ここから外れる。私は高野山大学だったし、真言かな。
真言は外形的にミニマルライクという事。ここに着目したのです。同じ真言句を何十万回も唱えるとかが虚空蔵法の修行だからね。最近、アパート借りて、動画撮ったりして、この音学道を作ろうかな?とか思ってたんだけど、金がなかったんだよ。この説明で↑導士は学識が深い方がいいの、分かりきってるよね?真言の部分を抜くと言っても、抜き方がおかしいとか、意味をまず知らないとかさ。