学部で悩む

2026年10月04日

 経済学部にしようと思ってたが、日本円で130万くらい学費がかかるし、物理だとほとんど無料なので、「物理で金もらうのどうなのか?」とかグチグチ言ってたけど、物理学部にしようか、悩んでいます。というか、言ったように、来年の日本の数学科の編入試験の勉強をしようと思ってるんだけどね。もう、受講する放送大学の「微分方程式」をしないといけないが、結構辛いよね。

  まあ、前回述べたように、物理だとちょっと、イマイチ気乗りしないというか、「早く言ってくれないかなぁ」「自分の被害はどうなったのかなぁ?」というスタイルが取りづらいんだよね。物理科に行ったら物理をやらなければならんだろ?

 物理は、だから、プリンキピア風なので「さっさとやってよ」となるだろ?、昨日の感じで。

 そもそも、2009年くらいだったから、『仮想王国』からネタで物理の方に行って、最初の話が、何だったかな。「時空間の相対性」と「相対性時空間質量」だったかな。態度がデカイがこういうのがプリンキピア風という話だ。懐かしいので、それに絡めて、ちょっとまた述べると、それに絡めてというのは「質量」の話とかその定義についてだろう?、私も「質量」「質量とは」みたいな本書くの結構恥ずいんだよね。


 時空間の相対性というのはだな、これは相対論と似た感じで、基準となる時空間が無いとか、質量体もそう。基準となる質量体がこの宇宙に設定しない、という話だ。相対論と似ている感じだ。


「相対性時空間質量」というのは、ここからが本腰というか、確かこの話題辺りから物理の話を始めたと思う。まず、相補完理論の時空間は忘れてもらって、まあ、相対性理論の空間だとして、ここで「質量」とは何か?を考えよう。だから、60kgとかが質量じゃない?と思うでしょうが、この「相対性時空間質量」というのは、時間と空間と質量が切り離せない。独存出来ない、確認出来ない、という話だ。相対論だと、ネット上でも、質量は相対的だ、いや違う絶対的だ。質量は絶対的だ、のような話を見たことがありますよね?、これも私から言わせれば彼らはテキトーに言ってるだけでして、質量というのは、時間と空間から隔絶された状態で、質量そのものとして宇宙に存在していますか?という話から入ったはず。それは無い。質量体がある所には、必ず、時間と空間がセットになってる。この宇宙のどこを見ても、時間と空間から切り離された状態で、質量体は確認できない。そのように定義します。

 ならば、時間と空間の相対性より、一体どの時間や空間が基準なんですか?基準がないです。ここで、空間においては、非常に小さな空間の中に存在する質量体と、広大な空間の中に存在する質量体を考える。一般感覚的な空間のみならず、時間においても、3秒の中に存在する質量体と、2000万年の中の存在する質量体では意味合いが変わってくる。

 どうやって質量を定義したらいいの?となる。そして、とりあえずは、この相対論的宇宙空間においては、質量体というのは、時空を一つのものとして捉える訳だから、とりあえず、分母に空間を置いて、分子に質量(60kg)を記した型(分子/分母)の形でしか表現し得ないはず。この型以外の質量表記は意味を有しない、と言ったはずです。


 基準がない訳だし、質量と時空間が切り離せない訳だから、分母に空間だけど、時空間として置いたわけだ。

「相対性時空間質量」だし、質量を60kgとて、空間を北海道ぐらいにして、時間を60億年くらいにしよう、とか自由に設定したりした。

そして次にΔt に触れた訳だけど(時空間とは。時の流れではなく時間。時空一体とは)、この質量の”定義的”に(分子/分母)の形でしか表現し得ないはず、というのは、意味分かる?「いやいや 60kgでしょ」と言われても、どこの時間の60kg、どこの空間の60kgなの?と、つまり、「質量」は「相対性時空間質量」しか選択の余地が無いのだ。

 ここまでいいかな。あの空間の中の60kg、この空間の中の60kg、という話しか出来ない、と言っている。独存していないんだからね。ここを考えないで、質量は絶対的だ、云々と言っている。それは無意味だ。

 でも、その形でしか表せないなら難しいな、質量の表記をどうしたらいいの?「ややこしい」となるでしょう?、もう、「いいから60kgにさせてください」と。ダメだ。そういうのが質量定義だ。

 要するに、加速度をかけたら同一の速度を得る連結体を質量体と定義して、話が飛ぶが、限界時空で時空間が消失するので、そこには相対性がこの意味合いにおいては崩れて、取り得る時空が限界小しかないでしょう?上の話だと、どこの時空間も基準でないので分母に持ってきたらいいの?自由に決められて基準がないんでしょう?となるが、限界小まで持っていくと、そこの分母を基準つまり「1」とすれば良いだろ。何にせよ、光速度基準の理論な訳だからね。

 ゆえに、この意味合いにおいて、相対性時空間質量から相対性が消失し、選択されるのは限界時空のみとなり、その意味において、絶対性(光速度基準)が出てくる。つまり、それが「60kg」の定義だ。

 この話は結構難しいんで、時空間消失において、そちら側が質量の定義基準になるんだろうなとは目星がつくけども、厳密には、ステージからE=mc^2を定義した後で、質量とは、「m= 」の形で示されるものだろう?、これも自分で出したというより、先も述べたが、どうして原発で合ってるのに(実証が)、相対論は間違っているしおかしい話だよなぁ。と、悩んだよね。


 つまり、相対的でも絶対的でもないということ。ここまでで、何とかして、「質量」が定義出来るようになる。加速度によって得られる運動力が同じとか、うんぬん言って、こうなる。

上の(分子/分母)の形は、どう考えても「密度」を連想しますよね?この密度というのが鍵になるわけで、密度の観点から思索を進めて、時空間消失と整合性をとるわけだ。まあ、「E」というのはエネルギーだがね。そうそう、地球の大きさの空間に地球の質量体が存在しているケースと、太陽系まで広げて、その大きさの空間に地球の質量体が均一に散らばっているケース。どちらも質量は同じだが、密度が違うよね。つまり、万有引力の式を眺めつつ、うんたらかんたらで、要するに、重力というのは質量と密度が重要になるわけだ。これは明らかだろう?太陽系に均一に散っている地球の質量体は、あんまり重力が発生していないが、”一点に集まれば集まるほど”重力が発生しますよね?、これが密度の考え方だ。


 つまり、相対性理論的な空間で、「質量は絶対的だ」という主張は、相対性を語りながら、ただそんな気がするというか、そう言ってるだけに過ぎない。「時空間の相対性」と「相対性時空間質量」の話から物理の話だったと思うが、これは、とどのつまり、時間とは、空間とは、質量とは、の定義の話よ。


 だから、私も恥ずいのよ。「質量」とは。とか書くのは、プリンキピアっぽいでしょう?、内容にはそう自信ある。あるけれどもさ。私の気持ち分かって。「まあ、そんなに深く考えないで、いいじゃん」とか思うかもしれないが、それより私は被害者なのよ。被害者。人権被災者。それ分かって欲しいんだよね。


 60kg、60kgって言っても、だからその60kgって定義が何なの?ってなるだろ?、すごい大きな空間に散らばっても60kgじゃない?、時間と空間から離れている状態の質量体は宇宙に存在しませんよ。イデアの永遠無限の世界に質量体があってそれが60kgなんですか?


 ニュートン空間というのは、絶対的な空間の中に、絶対均一的な時間が流れ、その宇宙内に絶対的な質量体が存在している。というもの。


 「60kg」という抽象的な存在を認めないということなのよ。必ず時空とセット。なのに、60kg = m として操作するには、上記の流れの定義が必要、ということ。「相対性時空間質量」だ。その60kgって何のか言ってよ、という話でして、かなりむずいよね。


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 私はもう狂ってしまったのだ。そんな話より、奥菜ちゃんの話でもしようよ。テキトーじゃない。彼女の20代は絶対にブランドでフランス人にハネられる(これは論外と)。しかし、私はあえて推したい。彼女がとんでもない不始末に引っかかっていたにせよ大丈夫OKです。くどいが、あのスキャンダルから、あの若手俳優らの話、怖いよなぁ。若手俳優になりすましている奴なんて、その業界でウヨウヨいそうじゃない?